えびすの三線ライフ

三線を弾き、唄い、学び、暮らす。還暦を迎えてなお新しい景色を求めながら、八重山民謡の稽古と日々の暮らしを重ねています。小さな積み重ねの中にある喜びや気づきを、ゆっくり綴っていきます。
  • なければ作る。コルク製三線ホルダー

    三線の練習を習慣にするために、以前から大事だと思っていることがある。

    三線を、いつでもすぐ手に取れるところに置いておくこと。

    これは、サークルのメンバーにも何度も話してきた。

    三線をケースに入れて大切に保管するのは、もちろん悪いことではない。しかし、いざ練習しようと思ったときに、ケースを出して、開けて、三線を取り出して……となると、ほんのわずかな手間なのに、それが意外と練習を始めるハードルになる。

    逆に、目の前に三線があって、手を伸ばせばすぐ弾ける。

    この環境を作るだけで、練習量は変わってくる。

    どこに置けばいいのか

    そこで考えた。

    どこに置けば、すぐ手に取れるだろう。

    しかも、できるだけスペースを取らず、安全に保管できる場所はないだろうか。

    一般的には三線用のスタンドがある。壁掛けタイプのホルダーもある。

    ただ、スタンドはどうしても床のスペースを使う。壁掛けは壁への取り付けが必要になる。

    私が欲しかったのは、もう少し単純なものだった。

    いつも使っているダイニングテーブルの横に、そのまま三線を掛けておけないか。

    椅子に座っていて、弾きたくなったら手を伸ばして取る。

    終わったら、またそこに戻す。

    これなら理想的だ。

    ところが、探してみても「テーブルに三線を掛けておく」という発想の商品は、私が探した限りでは見つからなかった。

    ならば、作ってしまおう。

    コルクを加工して三線ホルダーに

    材料に使ったのはコルク。

    厚みのあるコルクを加工して、ダイニングテーブルの縁に取り付け、三線の棹を挟むような形にした。

    写真で見ると、かなり単純な構造である。

    しかし、この単純さがいい。

    三線の棹を支える部分がコルクなので、硬い素材が直接当たる心配も少ない。何より、テーブルの横という、これまで使っていなかった空間を利用できる。

    床には何も置かないので邪魔にならない。

    そして、三線はいつも目の前にある。

    市販品のような格好良さはないが、目的は十分に果たしている。

    「練習するぞ」と思わなくても弾ける

    実際に使ってみると、これはすごくよかった。

    想像していた以上に、練習に取り掛かるハードルが下がった。

    「さて、三線の練習をするか」

    と気合を入れなくてもいい。

    ちょっと時間がある。

    一曲だけ弾いてみよう。

    昨日うまくいかなかったところを、少しだけ確認してみよう。

    そんなときに、手を伸ばせば三線がある。

    この「すぐ弾ける」ということが思った以上に大きい。

    練習を続けるためには、意志の強さだけに頼るよりも、練習しやすい環境を作ってしまうことのほうが効果的なのだと思う。

    ケースから出す数十秒が惜しいという話ではない。

    「始める」という行動に必要なエネルギーを、できるだけ小さくするということだ。

    上達のための道具は、三線だけではない

    三線の上達というと、良い楽器、良いバチ、チューナー、録音機器などに目が向きがちだ。

    しかし、「毎日手に取れる環境」もまた、立派な練習道具なのかもしれない。

    一回一回は、ほんの数分でもいい。

    目についたから弾く。

    手が届くから弾く。

    一曲だけでも弾く。

    その小さな積み重ねが、何十回、何百回という稽古につながっていく。

    そして今回、そのために必要なものが売っていなかったので、自分で作ってみた。

    なければ作る。

    見た目はいたって素朴なコルク製三線ホルダーだが、今のところ、かなり気に入っている。

    三線の置き場所を変えただけなのに、三線との距離まで近くなったような気がする。

    今日もダイニングテーブルの横には三線がある。

    あとは、手を伸ばして取るだけだ。

  • そのバッグの中身、実は三線です

    三線を持って出かけるとき、意外と悩むのがケースである。

    ハードケースやセミハードケースなら安心感はある。でも、重い。しっかりした三線専用のソフトケースもあるが、電車で移動することが多い自分にとっては、ケースそのものの重さが結構気になる。

    そこで、もうずいぶん長い間、愛用しているのがウクレレバッグである。

    といっても、三線用に作られたものではない。

    しっかりしたキャンバス地でできた、コンサートウクレレがすっぽり入るサイズのバッグ。それに三線を入れている。

    もちろん、三線のほうが長いので全部は入らない。「天」と呼ばれる棹の先端部分だけが、バッグからにょきっと飛び出す。

    ただし、その天の部分にはカバーをかけている。

    だから、背負って歩いていても、一見しただけでは三線だとはわからない。

    「何か長いものを背負っているけれど、あれは何だろう?」

    そんな感じである。

    この、明らかに三線ケースではないところも、実はかなり気に入っている。

    専用ケースに入れていれば、見る人が見ればすぐに三線だとわかる。しかし、キャンバス地のウクレレバッグに入り、飛び出した天にもカバーがかかっていると、正体不明の荷物になる。

    それでいて、妙に様になっている。

    そして何より、軽い。

    これが最大のメリットである。

    自分は三線を持って電車で移動する機会が多い。駅まで歩き、電車に乗り、乗り換え、また歩く。そんな移動では、ケースそのものの重さも馬鹿にならない。

    ウクレレバッグなら、三線を入れて背負っても実に軽快だ。

    もちろん、弱点もある。

    保護性能については、三線専用のハードケースには到底かなわない。どこかにぶつけたり、上から荷物を載せられたりするような場面には向かない。

    あくまで、自分で背負って移動し、自分で扱える範囲で使うケースだと思っている。

    その代わり、普段の電車移動やサークルの稽古に出かける程度なら、この軽さは何ものにも代えがたい。

    そして、このスタイルでもう一つ面白いのが、天を覆うカバーである。

    最初は単純に、バッグから飛び出した部分を保護するためのものだった。

    ところが、サークル仲間の中に裁縫の得意な人がいて、この天カバーをいろいろと工夫して作るようになった。

    生地を変えたり、柄を工夫したり、形を考えたり。

    実用品だったはずのカバーが、だんだんとその人らしさを表すアイテムになっていく。

    こういうところも、サークル活動の面白さだと思う。

    誰かが始めたちょっとした工夫を見て、「それ、いいな」と別の人が取り入れる。すると今度は、その人なりの工夫が加わる。

    そうやってアイデアが少しずつ進化していく。

    自分がウクレレバッグを使い始めてから、サークルの仲間にもこのスタイルが広がった。今では同じようにウクレレバッグを三線ケースとして使っている人が何人もいる。

    しかも、天にはそれぞれ違ったカバーがかかっている。

    何人か並んで歩いていても、まず三線の集団には見えない。

    それがまた面白い。

    そもそも、この「ウクレレバッグを三線ケースに転用する」という使い方は、自分が思いついて始めたものだ。

    少なくとも、自分が始めた当時、周りでそんな使い方をしている人は見たことがなかった。

    だから勝手に「自分オリジナルのアイデア」だと思っている。

    そして、そのアイデアを仲間が取り入れ、さらに天カバーを工夫し、それぞれのスタイルに育ててくれている。

    こうなってくると、単なる「安くて軽い代用品」というだけではない。

    ちょっとした三線仲間の文化になってきたような気さえする。

    もし、どこかでウクレレバッグらしきものから、布で覆われた謎の先端をのぞかせて歩いている人を見かけたら、その中身は三線かもしれない。

  • 沖国大に米軍ヘリが墜落した夏、私は三線を始めた

    8月13日が来ると、毎年思い出す出来事がある。

    2004年8月13日、沖縄県宜野湾市の沖縄国際大学に、米海兵隊の大型輸送ヘリCH-53Dが墜落、炎上した事故である。

    そして私にとって、この事故はもう一つの意味を持っている。

    私が三線を始める、大きなきっかけになった出来事だからだ。

    2004年8月13日、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落

    2004年8月13日午後、普天間飛行場を離陸した米海兵隊のCH-53D大型輸送ヘリが、沖縄国際大学の本館に接触して墜落、炎上した。

    乗員3人が負傷したものの、大学関係者や周辺住民に死者が出なかった。

    しかし、沖縄国際大学のすぐそばには普天間飛行場があり、その周辺には住宅が密集している。墜落地点が少し違っていれば、多くの人を巻き込む大惨事になっていた可能性がある。

    そして、この事故が突きつけた問題は、単なる航空機事故にとどまらなかった。

    事故直後、米軍は墜落現場を規制した。

    そこは米軍基地の中ではない。

    日本国内にある沖縄国際大学の敷地である。

    にもかかわらず、事故現場の管理や捜査をめぐって日本側が十分に関与できない状況が生じた。

    日米地位協定とは何なのか。

    日本の主権とは何なのか。

    そして、なぜ住宅や学校が密集する市街地の真ん中に、このような巨大な米軍基地が存在しているのか。

    事故は、沖縄が抱えている問題を目に見える形で突きつけた。

    その1週間後、家族旅行で沖縄へ

    実は事故が起きた約1週間後、私は家族旅行で沖縄を訪れる予定になっていた。

    事故のニュースを見ながら沖縄へ向かい、現地では沖縄国際大学の事故現場にも足を運んだ。

    テレビの画面を通して見るのと、自分の目で現場を見るのとでは、まったく違った。

    ほんの少し前、ここに米軍ヘリが墜落した。

    しかも基地の中ではなく、大学の構内に。

    すぐそばには普天間飛行場があり、その周囲には普通に住宅が広がっている。

    沖縄では、基地と人々の暮らしがこれほど近い場所にあるのか。

    ニュースとして知っていた「沖縄の基地問題」が、その時初めて、自分の目の前にある現実として迫ってきた。

    家族で楽しむために訪れた沖縄だったが、事故現場に立った経験は、私の中に強く残った。

    「沖縄をもっと知りたい」と思った

    あの経験をきっかけに、沖縄という土地そのものに強く関心を持つようになった。

    基地問題だけではない。

    なぜ沖縄にこれほど多くの米軍基地が集中しているのか。

    沖縄はどのような歴史を歩んできたのか。

    そこにはどんな文化があり、人々はどんな暮らしを営んできたのか。

    もっと沖縄を知りたいと思った。

    そして、沖縄の文化に触れる一つの入口として興味を持ったのが、三線だった。

    その年、私は初めて三線を手にした。

    それから22年。それでも基地問題は

    2004年から22年が過ぎた。

    あの事故を目の当たりにした時、まさか20年以上たっても普天間飛行場の問題が解決していないとは思わなかった。

    普天間飛行場の返還は実現せず、その移設先として名護市辺野古では新たな基地建設が進められている。

    さらに、この間、宮古島や石垣島などでは自衛隊の配備が進んだ。

    もちろん、それについては、日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増す中で、南西地域の防衛力を強化し、抑止力を高める必要があるという政府の考え方がある。

    安全保障を考えなくていいと言うつもりはない。

    それでも、22年前から沖縄を見てきた者として、どうしても感じてしまうことがある。

    結局、また沖縄なのか。

    沖縄の基地負担を軽減すると言いながら、一方では辺野古に新しい基地を造る。

    さらに宮古、石垣、与那国と、先島の島々にも自衛隊の施設や部隊が置かれていく。

    米軍基地と自衛隊基地は、その成り立ちも法的な位置づけも同じではない。それを一緒くたに論じるべきではないだろう。

    しかし、沖縄や先島の島々に暮らす人たちの側から見れば、安全保障に伴う負担やリスクが南西地域へ集中していくという問題は残る。

    沖縄の負担を軽くするはずだったのではなかったのか。

    あの事故から22年たって、いったい何が変わったのだろう。

    そう考えると、無力感を覚える。

    そして、憤りも感じる。

    美しい島々が「防衛の最前線」と呼ばれること

    特に、八重山古典民謡を学ぶようになってから、その思いは以前より強くなった。

    石垣島へ行けば、美しい海があり、島々があり、人々の暮らしがある。

    そして今、私が一生懸命覚えようとしている八重山の歌がある。

    歌を学べば、その土地が単なる地図上の一点ではなくなる。

    歌の中に浜があり、村があり、働く人がいて、恋する人がいて、祈る人がいる。

    だからこそ、宮古や石垣、与那国といった島々が「南西地域」「防衛の最前線」という言葉で語られるたび、複雑な気持ちになる。

    安全保障政策を考える側には、その論理がある。

    しかし、その場所には昔から人が暮らしている。

    文化があり、歌があり、日常がある。

    そのことを忘れてはいけないと思う。

    三線が、人とのつながりをつくってくれた

    一方で、この22年間、三線は私に多くのものを与えてくれた。

    三線を通じて、たくさんの人と出会った。

    いくつかの三線サークルに関わり、一緒に練習し、人前で演奏し、時には初めて三線を手にする人に弾き方を伝えるようにもなった。

    年齢も仕事も立場も違う人たちが、三線を持って集まれば、一緒に歌い、一緒に音を出すことができる。

    三線がなければ、おそらく出会うことのなかった人もたくさんいる。

    一本の三線が、人と人とをつないでくれた。

    自分にできることは、小さいけれど

    基地問題について考えると、正直、自分の無力さを感じる。

    22年前に事故現場に立った一人の人間が、沖縄の基地問題をどうにかできるわけではない。

    辺野古の工事を止めることもできない。

    大きな安全保障政策を変えることもできない。

    それでも、自分にできることが何もないとは思いたくない。

    三線を弾く。

    沖縄の歌を歌う。

    その歌が生まれた土地のことを知る。

    沖縄の歴史や文化について知ったことを、人に伝える。

    三線を弾いてみたいという人がいれば、その楽しさを伝える。

    そして、サークルで一緒に歌い、演奏する。

    一つひとつは、本当に小さなことだ。

    けれど、22年前、自分が沖縄に興味を持ち、三線という入口から沖縄の文化へ入っていったように、今度は自分が誰かにとっての入口をつくることはできる。

    沖縄を単なる観光地としてではなく、そこに暮らす人々の歴史や文化、そして今も続く問題を含めて知ってもらう。

    それも、自分なりの沖縄との関わり方なのだと思っている。

    あの夏から22年

    2004年8月13日、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した。

    その約1週間後、私は家族と沖縄を訪れ、事故現場に立った。

    そこで見たものをきっかけに沖縄をもっと知りたいと思い、三線を手にした。

    それから22年。

    三線を弾き、沖縄の歌を知り、人と出会った。

    いくつかの三線サークルに関わり、仲間と一緒に歌い、演奏し、今では八重山の歌を本格的に学んでいる。

    そして、自分が楽しむだけではなく、三線を通じて沖縄の文化を少しでも広げていきたいと思うようになった。

    一方で、22年たっても基地をめぐる問題は終わっていない。

    むしろ、辺野古の基地建設や南西諸島への自衛隊配備を目にすると、沖縄が背負う安全保障上の負担は、本当に軽くなっているのだろうかと思う。

    無力感もある。

    憤りもある。

    それでも、沖縄を知ろうとすることをやめない。

    沖縄の歌を歌うことをやめない。

    そして、その文化を誰かに伝えていく。

    それくらいしかできないのかもしれない。

    でも、それなら、それを続けようと思う。

    8月13日は、沖縄国際大学で起きた事故を忘れないための日。

    そして私にとっては、沖縄を知ろうとする長い旅と、三線を通じて人とつながり、その文化を伝えていく旅が始まった原点を思い返す日でもある。

  • 三線弾き語りの魅力と克服法

    三線サークルで定期的に練習しているが、三線を弾きながら歌うメンバーは、まだ少数である。

    三線だけを弾くのも、もちろん楽しい。しかし、そこに歌が加わると、楽しさはぐんと大きくなる。

    三線は、もともと歌の伴奏をするための楽器である。三線と歌が一つになって、初めてその曲が持つ情景や感情が立ち上がってくる。

    だから、サークルでも「ぜひ歌いましょう」と呼びかけているのだが、なかなか声が出てこない。

    歌わない理由の一つは、三線を弾くことに必死で、歌う余裕がないことだろう。

    勘所を押さえ、工工四を追い、右手で正しく弦を弾く。それだけで頭も手もいっぱいになる。そこへ歌まで加えるのは、初心者にとって簡単なことではない。

    これについては、三線を繰り返し練習して、少しずつ余裕をつくっていくしかない。三線の手がある程度自然に動くようになれば、歌にも意識を向けられるようになる。

    もう一つの理由は、人前で歌うことへの恥ずかしさだと思う。

    音程を外したらどうしよう。歌詞を間違えたら恥ずかしい。周りの人に下手だと思われたくない。

    そう考える気持ちは、よく分かる。

    三線を弾くだけでも緊張するのに、さらに自分の声まで人前に出す。ましてや弾き語りとなれば、かなりハードルが高く感じられるだろう。

    しかし、実際には、人はそれほど他人の歌を細かく気にしていない。周りの人も同じように練習中であり、みんなが上手に歌えるわけでもない。

    私自身は、もう長く人前で歌い続けてきたので、少々下手だと思われてもいいと開き直っている。

    音を外すこともあれば、歌詞を間違えることもある。それでも、声を出さなければ歌は上達しない。人前で歌う恥ずかしさも、実際に歌うことでしか乗り越えられない。

    最初は小さな声でもいい。

    三線の手が止まってもいい。音程が外れても、歌詞を間違えても構わない。分からなくなったら、周りの声に合わせて途中から入り直せばいい。

    サークルの練習は、失敗しない演奏を披露する場所ではない。失敗しながら、少しずつできるようになるための場所である。

    「もっと上手になってから歌おう」と思っていると、いつまでも歌い始めることができない。歌わなければ歌えるようにはならず、三線と歌が一つになる楽しさにも、なかなか出会えない。

    三線だけを弾いているときには分からなかった、歌と音が重なる心地よさがある。自分の声を三線が支え、三線の音に歌が命を吹き込んでいく。うまく重なった瞬間の気持ちよさは、弾き語りをした人にしか分からない。

    その楽しさを知ってほしい。

    少しくらい間違えても大丈夫。サークルには、一緒に歌う仲間がいる。

    まずは勇気を出して、声を出してみよう。

    三線を弾くなら、歌わなければもったいない。

    次の練習では、今までより少しだけ大きな声で歌ってみませんか。

  • 三線の弦を新しく張り替えたあと、

    「ちゃんとチンダミしたはずなのに、すぐ音が狂ってしまう」

    という経験はないでしょうか。

    チューナーを見ながらきっちり合わせたのに、少し弾いていると音が下がってくる。もう一度合わせても、しばらくするとまた下がる。

    初心者のうちは、「弦の張り方を失敗したのかな」「カラクイがおかしいのかな」と心配になるかもしれません。

    でも、張り替えたばかりの弦のチンダミが狂いやすいのは、ある程度は普通のことです。

    新しい弦は伸びる

    張り替えた直後に音が狂いやすい一番の理由は、新しい弦が伸びるからです。

    三線の弦には常に一定の張力がかかっています。新しい弦を張ってチンダミすると、その張力によって少しずつ弦が伸びていきます。

    弦が伸びれば張力が弱くなります。当然、音程は下がります。

    そこで、もう一度カラクイを回して正しい音程に合わせます。

    ところが、しばらくするとまた弦が伸びて音程が下がります。

    チンダミする → 弦が伸びる → 音が下がる → またチンダミする

    張り替え直後は、これを何度か繰り返すことになります。

    そして、弦が十分になじんでくれば、次第にチンダミも安定してきます。

    張り替えたら、少し弦をなじませる

    私は弦を張り替えたあと、すぐに終わりにはしません。

    一度チンダミしたあと、弦を指で軽く持ち上げるようにして、少し伸ばしてやります。

    一か所だけを強く引っ張るのではなく、弦の何か所かを軽く持ち上げる程度です。

    すると、せっかく合わせた音程がまた下がります。

    そこで、もう一度チンダミします。

    また軽く弦を伸ばして、再びチンダミ。

    これを何度か繰り返しておくと、何もしない場合より早く弦がなじみ、チンダミも安定しやすくなります。

    ただし、早く伸ばそうとして強く引っ張る必要はありません

    無理に引っ張れば弦を傷めたり、場合によっては切ってしまったりします。あくまでも「少しなじませてやる」というくらいで十分です。

    弦の「伸び」だけが原因とは限らない

    何度チンダミしても極端に音程が下がる場合は、別のところも確認してみましょう。

    三線の場合、カラクイに巻いた部分や、糸掛け側の結び目に緩みが残っていることがあります。

    弦そのものが伸びているのではなく、張力がかかることで結び目が締まったり、巻いた部分がずれたりしているわけです。

    また、以前の記事でも書いたように、カラクイがしっかり棹に押し込まれていなければ、カラクイそのものが戻って音程が下がることもあります。

    つまり、

    弦が伸びているのか。
    結び目や巻きが締まっているのか。
    それともカラクイが緩んでいるのか。

    この違いを少しずつ見分けられるようになると、三線の扱いにも慣れてきます。

    張り替え直後に狂うのは失敗ではない

    初心者の方に一番知っておいてほしいのは、弦を張り替えた直後にチンダミが狂うこと自体は、失敗ではないということです。

    新しい弦は、ある程度伸びます。

    だから張り替えたら、

    張り替える → チンダミする → 少し弾く → またチンダミする

    これを繰り返しながら、弦を三線になじませていけばいいのです。

    弦の交換も、チンダミも、最初は少し面倒に感じるかもしれません。

    でも、自分で弦を交換して、その弦が少しずつなじんで音が安定していくところまで面倒を見る。

    それもまた、自分の三線と付き合っていくうえで覚えておきたい基本の一つだと思います。

  • 曲の「うねり」に身をまかせる

    今朝の稽古で、これまでにない感覚を味わった。

    三線を弾きながら唄っていると、曲全体に大きな「うねり」のようなものを感じた。

    そして、そのうねりに身を任せていると、とても心地よかった。

    たとえるなら、穏やかな海に浮かび、ゆっくりと寄せては返す波に身体を預けているような感覚である。

    波に逆らう必要はない。

    自分で前へ進もうとする必要もない。

    ただ波に乗り、上がったり下がったりしながら、揺蕩っている。

    今朝の三線と唄は、まさにそんな感じだった。

    これまでの稽古では、一つ一つの音を自分でつないで、曲を前へ進めていたのかもしれない。

    次の歌詞、次の勘所、次の節回し。

    間違えないように、音程を外さないように、師匠から教わったとおりに。

    もちろん、それは今でも大切なことである。

    しかし、それだけに意識が向いていると、どうしても一音一音を追いかける演奏になる。

    ところが今朝は、少し違った。

    三線の音があり、そこに唄が重なる。

    唄が伸び、節が回り、間が生まれ、息を吸い、また次の音へ向かっていく。

    その一連の流れがバラバラではなく、一つの大きな波のようにつながって感じられた。

    そして面白かったのは、自分がその波をつくっているという感覚ではなかったことである。

    曲の中にもともとある「うねり」を見つけた。

    そんな感じに近い。

    そのうねりに一度乗ってしまうと、「次はこの音」「次はこの歌詞」と考えて演奏を前へ運ばなくても、波の方が次へ連れていってくれる。

    少し押して、少し引く。

    伸びて、戻る。

    音が立ち上がり、消えていき、次の音が生まれる。

    その繰り返しの中を、ただ揺蕩う。

    それが、とても心地よかった。

    これまで八重山民謡を聴いていて、「この唄は心地いい」と感じることは何度もあった。

    しかし、その心地良さを、自分が演奏する側で感じたのは初めてだったように思う。

    「揺らぎ」という言葉を最初は思い浮かべたが、少し違う気もする。

    一つ一つの音が揺れているのではない。

    もっと大きな単位で、曲全体がゆっくりとうねっている。

    だから、「揺らぎ」よりも「うねり」の方が、自分の感覚には近い。

    考えてみれば、ここまで課題曲を繰り返し稽古してきたことで、歌詞や三線の手を思い出したり、次の音を確認したりするために使っていた意識が、少しずつ必要なくなってきている。

    だからこそ、これまで気づかなかった曲全体の流れを感じる余裕が生まれてきたのかもしれない。

    一音を追いかけるところから、一節を感じる。

    一節を追いかけるところから、曲全体を感じる。

    そして、曲の中にある大きなうねりに乗る。

    これは技術として身についたと言えるようなものではない。

    次の稽古でも同じ感覚になれるかどうかは分からない。

    意識して「波をつくろう」「うねらせよう」とすれば、かえって不自然な演奏になるようにも思う。

    だから、自分から波を起こそうとするのではない。

    曲の中にある波を感じる。

    そして、その波を邪魔せず、身体を預ける。

    今朝はほんの一瞬だったかもしれないが、八重山民謡を弾き唄うことの心地良さを、これまでとは違うところで感じることができた。

    穏やかな波の上を、三線と唄と一緒に揺蕩っている。

    そんな演奏がいつでもできるようになったとき、自分の唄はもう一段違うところへ行けるのかもしれない。

    そしていつか、演奏している自分だけでなく、聴いている人もその波の中に誘い込みたい。

    何も考えず、ただ身を任せていたくなる。

    そんな八重山民謡を唄えるようになりたい。

  • 八重山民謡を歌っていて、難しいと感じることの一つがブレスである。

    八重山民謡では、基本的にブレスをする場所まで決められている。

    どこでも苦しくなったところで息を吸えばいい、というものではない。唄の流れ、歌詞の意味、節回しを崩さないために、「ここで息を吸う」という場所がある。

    まずは、その指定された場所でブレスをすることが原則になる。

    ところが、これがなかなか難しい。

    八重山民謡はブレスから次のブレスまでが長いところが多い。指定された場所でしっかり息を吸ったつもりでも、次のブレスまで息が続かないことがある。

    だからといって、限界まで我慢すればいいわけでもない。

    息が足りなくなると、フレーズの最後で声が弱くなったり、音程が不安定になったりする。次のブレスで慌てて息を吸うことになれば、唄全体の流れまで崩れてしまう。

    そこで必要になるのが、どうしても続かない場合に、どこで補助的なブレスを入れるかという判断である。

    もちろん、どこでもいいわけではない。

    歌詞の意味を不自然に切らない。節回しの途中を切らない。唄の流れをできるだけ損なわない。

    原則のブレス位置を守ることを目指しながら、それが難しいところでは、適切な場所を選んで息を継ぐ。

    これも一つの技術なのだと思う。

    そして、もう一つ大切なのが、一息の使い方である。

    最初から息を使いすぎれば後半が苦しくなる。反対に、息を残そうとして声を抑えすぎれば、唄に力がなくなる。

    どこで声を出し、どこで少し抑え、フレーズの最後までどれくらい息を残しておくのか。

    単に肺活量の問題として考えるのではなく、一息をどう配分するかを考えなければならない。

    三線を弾きながらとなると、さらに難しい。

    三線の手、勘所、歌詞、音程、節回しに意識を向けながら、自分の息の残量まで感じ取る必要がある。

    だからこそ、ブレスについても練習の中で意識しておきたい。

    指定されたブレス位置を確認する。

    そこまで一息で歌えるように練習する。

    どうしても難しいところは、唄を壊さない補助ブレスの位置を決めておく。

    そして、その位置を毎回変えるのではなく、繰り返し歌って身体に覚え込ませる。

    本番で息が苦しくなってから、「どこで吸おう」と考えているようでは遅い。

    どこで吸い、その一息をどこまで持たせるのか。

    ブレスも含めて一曲を身体に入れていく。

    八重山民謡の稽古は、音程や節回し、三線の技術だけではない。

    息を吸う場所、息を使う量、そして必要なときに息を継ぐ場所。

    「息」もまた、唄を形づくる大切な要素なのである。

  • 三線を始めた人から受ける相談で、よくあるものの一つが、

    「弦が切れたので、交換してほしい」

    というものだ。

    もちろん、持ってきてもらえば交換するのだが、その時にはできるだけ、「次からは自分で交換できるようになりましょう」と伝えるようにしている。

    三線の弦とウマは消耗品である。

    いつ切れるか分からないし、演奏する直前にトラブルが起こることだってある。だから、予備の弦とウマは三線ケースの中に常備しておいた方がいい。そして、弦の交換は三線を弾くうえで身につけておきたい基本的なスキルの一つだと思う。

    そもそも弦は、「切れた時だけ交換するもの」ではない。

    特に細い女弦は、練習時間が重なってくると、バチが当たる部分が少しずつ摩耗してくる。表面が毛羽立ち、ささくれたようになってくれば、まだ切れていなくても交換時期である。

    毎日のように三線を弾いていると、こうした弦の状態にも自然と目が向くようになってくる。

    そして、初心者の人には、弦の交換と一緒にもう一つ伝えていることがある。

    「弦が切れた」のか、「弦を切った」のかを、自分で分かっておくこと。

    この二つは、似ているようでまったく違う。

    長く使って摩耗した弦が演奏中に切れたのであれば、それは「弦が切れた」と言っていい。

    一方、初心者のうちは調弦(チンダミ)の途中で弦を切ってしまうことがある。

    例えば、音程が高くなっているので本来はカラクイを緩めて音を下げなければならないのに、勘違いして反対方向へ回してしまう。

    「まだ合わない、まだ合わない」

    と音を上げ続ける。

    当然、弦の張力はどんどん強くなっていく。そして限界を超えたところで、

    プツン。

    これは弦が自然に「切れた」のではない。

    自分で「切った」のである。

    この違いを認識しておくことは意外と大切だ。

    「弦が切れたから、新しい弦に交換した」で終わってしまうと、また同じことを繰り返す可能性がある。

    なぜ切れたのか。

    弦が古くなっていたのか。それとも調弦の方向を間違えたのか。チューナーの表示を正しく読めていなかったのか。

    原因を理解すれば、次からは防ぐことができる。

    三線を始めたばかりの頃は、弦の交換も難しく感じるし、チンダミにも時間がかかる。

    しかし、どちらも何度か経験すれば、少しずつ自分でできるようになってくる。

    弦を張り替え、自分でチンダミをして、演奏できる状態まで持っていく。

    そこまで含めて「三線を弾く」ということなのだと思う。

    だから、弦が切れたら、それも一つの練習の機会。

    新しい弦を誰かに張ってもらうだけではなく、自分で交換してみる。そして、もし自分で「切った」のであれば、次は切らないようにチンダミの技術も身につける。

    弦の交換のスキルと、調弦のスキル。

    三線を長く楽しんでいくために、演奏と一緒に少しずつ身につけておきたい基本技術である。

  • コンクール本番まで、今日で残り300日となった。

    来年のコンクールを見据えて、計画的に練習を始めてから、あっという間に2か月が過ぎた。

    6月、7月は、課題曲7曲の暗譜・暗唱と安定化を目標に取り組んできた。そして8月からは、7曲すべてを繰り返し通し、演奏をさらに身体に定着させていく段階に入っている。

    そうやって一つずつ段階を踏んできたつもりだが、気がつけば本番まであと300日である。

    300日。

    この数字を長いと取るか、短いと取るか。

    300日あれば、まだまだいろいろなことができる。今できないことも、300日かけて繰り返せば、できるようになる可能性は十分にある。

    一方で、ここまでの2か月があっという間だったことを考えれば、これからの300日も、おそらく驚くほど早く過ぎていく。

    頭では、それがわかっている。

    それでも心のどこかに、

    「まだ300日ある」

    という気持ちがある。

    怖いのは、この「まだ」である。

    まだ300日あるから、今日は少しくらい練習を減らしてもいい。
    今日は疲れているから、明日やればいい。
    一日くらい休んでも大したことはない。

    確かに、一日だけを見れば大した違いではない。

    しかし、その「今日一日ぐらい」が二日、三日と重なっていけば、いつの間にか10日になり、1か月になる。

    逆も同じだ。

    今日の3回。
    今日の部分練習。
    今日の録音。
    今日気づいた小さな修正。

    一日ではほとんど変化が見えなくても、それを300日積み重ねれば、大きな差になる。

    考えてみれば、来年のコンクールを目指して本格的に取り組み始めてから、すでに約2か月が過ぎた。

    本番までの道のりの、およそ6分の1が終わったことになる。

    もう6分の1が過ぎた。

    そして、もう300日しかない。

    そう考えた方がいい。

    焦る必要はない。
    無理をして練習量を増やす必要もない。

    必要なのは、決めたことを今日もやることだ。

    本番で求めているのは、ただ2曲を最後まで弾き歌えることではない。

    緊張する舞台の上でも、普段どおりに三線を弾き、声を出し、自分の演奏を客観的に感じながら、ミスなく、しかも表現豊かに歌い切る。

    そして、合格するだけではなく、自分自身が納得できる演奏をする。

    そこまで持っていくための300日である。

    300日後に突然うまくなるわけではない。

    300日後の演奏をつくるのは、今日の練習だ。

    残り300日という区切りの日。

    「まだ300日ある」ではなく、

    「もう300日しかない」

    そう自分に言い聞かせて、もう一度気を引き締める。

  • 8月に入って、コンクール課題曲7曲を毎日3回以上通すことを日課にしている。

    実際に7曲を演奏するのにかかる時間は、以前とそれほど変わっていない。ところが最近、7曲を通し終えたときに、「もう終わったのか」と感じることが増えてきた。

    同じ時間なのに、明らかに短く感じる。

    これは、7曲それぞれが自分の中にかなり定着してきたからではないかと思う。

    練習を始めた頃は、次の歌詞は何だったか、次の勘所はどこだったか、ここは間違えないようにしよう、といったことを常に考えながら演奏していた。

    一曲を最後までミスせずに弾き歌うだけでも、かなりの集中力を使っていた。

    それが繰り返し練習するうちに、一つひとつ意識していたものが、少しずつまとまりとして記憶されてきたように感じる。

    歌詞、節回し、三線の手、曲の流れ。それらを別々に追いかけるのではなく、「一曲」として身体の中から取り出せるようになってきた。

    だから、演奏するために必要なエネルギーも、以前よりずっと少なくなっているのだと思う。

    これは大きな変化である。

    そして、ここからが次の段階なのだろう。

    これまで「間違えずに最後まで演奏する」ために使っていた意識を、もっと細かなところへ向けられるようになる。

    音程は正確か。声はしっかり前に出ているか。節回しは十分か。三線の音はきれいか。唄と三線の間はどうか。一曲全体として、聴く人にどう届いているか。

    ただ弾ける、ただ歌えるという段階から、「どう弾くか」「どう歌うか」へ。

    さらに、その先には「再現する」という課題がある。

    家で一人で弾いているときだけ上手くできても、コンクールでは通用しない。

    師匠の前でも、人前でも、録音していても、そしてコンクール本番の舞台でも、自分がその時点でできる最高の演奏をできるだけ同じように出せること。

    偶然上手くいくのではなく、何度やっても一定以上の演奏ができるところまで仕上げていく。

    仕上げる。定着させる。そして、再現できるようにする。

    7曲を通す時間が短く感じるようになったことで、ようやくそこへ向かう道筋が見えてきた気がする。

    まだ完成したわけではない。

    むしろ、ここからが「弾ける曲」を「自分の演奏」にしていくための稽古なのだと思う。

    繰り返して身体に入れる。その分だけ生まれた余裕を、今度は細部へ注ぎ込む。

    そして来年の本番では、どの曲を引いても、どんな状況でも、「これが今の自分の演奏だ」と言えるものを出す。

    そのための土台が、少しずつできてきた。