えびすの三線ライフ

三線を弾き、唄い、学び、暮らす。還暦を迎えてなお新しい景色を求めながら、八重山民謡の稽古と日々の暮らしを重ねています。小さな積み重ねの中にある喜びや気づきを、ゆっくり綴っていきます。

8月に入って、コンクール課題曲7曲を毎日3回以上通すことを日課にしている。

実際に7曲を演奏するのにかかる時間は、以前とそれほど変わっていない。ところが最近、7曲を通し終えたときに、「もう終わったのか」と感じることが増えてきた。

同じ時間なのに、明らかに短く感じる。

これは、7曲それぞれが自分の中にかなり定着してきたからではないかと思う。

練習を始めた頃は、次の歌詞は何だったか、次の勘所はどこだったか、ここは間違えないようにしよう、といったことを常に考えながら演奏していた。

一曲を最後までミスせずに弾き歌うだけでも、かなりの集中力を使っていた。

それが繰り返し練習するうちに、一つひとつ意識していたものが、少しずつまとまりとして記憶されてきたように感じる。

歌詞、節回し、三線の手、曲の流れ。それらを別々に追いかけるのではなく、「一曲」として身体の中から取り出せるようになってきた。

だから、演奏するために必要なエネルギーも、以前よりずっと少なくなっているのだと思う。

これは大きな変化である。

そして、ここからが次の段階なのだろう。

これまで「間違えずに最後まで演奏する」ために使っていた意識を、もっと細かなところへ向けられるようになる。

音程は正確か。声はしっかり前に出ているか。節回しは十分か。三線の音はきれいか。唄と三線の間はどうか。一曲全体として、聴く人にどう届いているか。

ただ弾ける、ただ歌えるという段階から、「どう弾くか」「どう歌うか」へ。

さらに、その先には「再現する」という課題がある。

家で一人で弾いているときだけ上手くできても、コンクールでは通用しない。

師匠の前でも、人前でも、録音していても、そしてコンクール本番の舞台でも、自分がその時点でできる最高の演奏をできるだけ同じように出せること。

偶然上手くいくのではなく、何度やっても一定以上の演奏ができるところまで仕上げていく。

仕上げる。定着させる。そして、再現できるようにする。

7曲を通す時間が短く感じるようになったことで、ようやくそこへ向かう道筋が見えてきた気がする。

まだ完成したわけではない。

むしろ、ここからが「弾ける曲」を「自分の演奏」にしていくための稽古なのだと思う。

繰り返して身体に入れる。その分だけ生まれた余裕を、今度は細部へ注ぎ込む。

そして来年の本番では、どの曲を引いても、どんな状況でも、「これが今の自分の演奏だ」と言えるものを出す。

そのための土台が、少しずつできてきた。

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