三線サークルで定期的に練習しているが、三線を弾きながら歌うメンバーは、まだ少数である。
三線だけを弾くのも、もちろん楽しい。しかし、そこに歌が加わると、楽しさはぐんと大きくなる。
三線は、もともと歌の伴奏をするための楽器である。三線と歌が一つになって、初めてその曲が持つ情景や感情が立ち上がってくる。
だから、サークルでも「ぜひ歌いましょう」と呼びかけているのだが、なかなか声が出てこない。
歌わない理由の一つは、三線を弾くことに必死で、歌う余裕がないことだろう。
勘所を押さえ、工工四を追い、右手で正しく弦を弾く。それだけで頭も手もいっぱいになる。そこへ歌まで加えるのは、初心者にとって簡単なことではない。
これについては、三線を繰り返し練習して、少しずつ余裕をつくっていくしかない。三線の手がある程度自然に動くようになれば、歌にも意識を向けられるようになる。
もう一つの理由は、人前で歌うことへの恥ずかしさだと思う。
音程を外したらどうしよう。歌詞を間違えたら恥ずかしい。周りの人に下手だと思われたくない。
そう考える気持ちは、よく分かる。
三線を弾くだけでも緊張するのに、さらに自分の声まで人前に出す。ましてや弾き語りとなれば、かなりハードルが高く感じられるだろう。
しかし、実際には、人はそれほど他人の歌を細かく気にしていない。周りの人も同じように練習中であり、みんなが上手に歌えるわけでもない。
私自身は、もう長く人前で歌い続けてきたので、少々下手だと思われてもいいと開き直っている。
音を外すこともあれば、歌詞を間違えることもある。それでも、声を出さなければ歌は上達しない。人前で歌う恥ずかしさも、実際に歌うことでしか乗り越えられない。
最初は小さな声でもいい。
三線の手が止まってもいい。音程が外れても、歌詞を間違えても構わない。分からなくなったら、周りの声に合わせて途中から入り直せばいい。
サークルの練習は、失敗しない演奏を披露する場所ではない。失敗しながら、少しずつできるようになるための場所である。
「もっと上手になってから歌おう」と思っていると、いつまでも歌い始めることができない。歌わなければ歌えるようにはならず、三線と歌が一つになる楽しさにも、なかなか出会えない。
三線だけを弾いているときには分からなかった、歌と音が重なる心地よさがある。自分の声を三線が支え、三線の音に歌が命を吹き込んでいく。うまく重なった瞬間の気持ちよさは、弾き語りをした人にしか分からない。
その楽しさを知ってほしい。
少しくらい間違えても大丈夫。サークルには、一緒に歌う仲間がいる。
まずは勇気を出して、声を出してみよう。
三線を弾くなら、歌わなければもったいない。
次の練習では、今までより少しだけ大きな声で歌ってみませんか。

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