えびすの三線ライフ

三線を弾き、唄い、学び、暮らす。還暦を迎えてなお新しい景色を求めながら、八重山民謡の稽古と日々の暮らしを重ねています。小さな積み重ねの中にある喜びや気づきを、ゆっくり綴っていきます。

沖縄の問題をテーマにした教職員研修。そのオープニングで、三線を演奏する機会をいただいた。

会場は150人ほどの参加者が入るホール。久しぶりのホール舞台、しかも今回はソロでの演奏だった。

舞台に出てみると、思っていた以上に緊張した。

考えてみれば、このところ人前で演奏するときは、いつも誰かと一緒だった。

娘がベースを弾く「おやこえびす」。淡路島の唄者・葉満啓祐くんとの「淡路ぬニセター」。そして三線サークルでの合奏。

それぞれ形は違うけれど、隣には誰かがいた。

では、一人だけで人前に立って三線を弾き、歌ったのはいつ以来だろう。

すぐには思い出せない。それくらい久しぶりだった。

自分の音しかない

ソロで舞台に立つと、当たり前のことが急に重く感じられる。

聞こえている三線は、自分の三線だけ。

聞こえている歌声も、自分の声だけ。

自分が音を外せば、その音がそのまま客席へ届く。三線を弾き間違えても、誰かの音に紛れることはない。

150人ほどのオーディエンスに、自分の三線の音と、自分の声だけが届いている。

そう意識した瞬間、普段の練習とはまったく違う緊張感が生まれた。

家で一人で弾いているときも、演奏しているのはもちろん自分一人だ。それなのに、目の前に聴いてくれる人がいるだけで、身体の感覚まで変わってくる。

舞台というのは不思議な場所だ。

「一人で弾ける」と「一人で聴かせる」は違う

来年の八重山古典民謡コンクールに向けて、毎日のように一人で課題曲を練習している。

暗譜・暗唱を進め、三線のミスを減らし、声の響きや高音の強さも磨いている。

それでも今回改めて感じた。

一人で弾けることと、一人で人に聴かせられることは、別の力だ。

誰かと一緒に演奏する楽しさは大きい。音を合わせ、呼吸を合わせることで、一人では生まれない音楽になる。

一方で、ソロには逃げ場がない。

三線も歌も、間の取り方も、最初から最後まで自分一人で引き受ける。

その緊張感の中でも、普段やっていることを普段どおりに出せるか。

今回の舞台は、自分に足りないものを確認する、とてもいい機会になった。

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