沖縄の問題をテーマにした教職員研修。そのオープニングで、三線を演奏する機会をいただいた。
会場は150人ほどの参加者が入るホール。久しぶりのホール舞台、しかも今回はソロでの演奏だった。
舞台に出てみると、思っていた以上に緊張した。
考えてみれば、このところ人前で演奏するときは、いつも誰かと一緒だった。
娘がベースを弾く「おやこえびす」。淡路島の唄者・葉満啓祐くんとの「淡路ぬニセター」。そして三線サークルでの合奏。
それぞれ形は違うけれど、隣には誰かがいた。
では、一人だけで人前に立って三線を弾き、歌ったのはいつ以来だろう。
すぐには思い出せない。それくらい久しぶりだった。
自分の音しかない
ソロで舞台に立つと、当たり前のことが急に重く感じられる。
聞こえている三線は、自分の三線だけ。
聞こえている歌声も、自分の声だけ。
自分が音を外せば、その音がそのまま客席へ届く。三線を弾き間違えても、誰かの音に紛れることはない。
150人ほどのオーディエンスに、自分の三線の音と、自分の声だけが届いている。
そう意識した瞬間、普段の練習とはまったく違う緊張感が生まれた。
家で一人で弾いているときも、演奏しているのはもちろん自分一人だ。それなのに、目の前に聴いてくれる人がいるだけで、身体の感覚まで変わってくる。
舞台というのは不思議な場所だ。
「一人で弾ける」と「一人で聴かせる」は違う
来年の八重山古典民謡コンクールに向けて、毎日のように一人で課題曲を練習している。
暗譜・暗唱を進め、三線のミスを減らし、声の響きや高音の強さも磨いている。
それでも今回改めて感じた。
一人で弾けることと、一人で人に聴かせられることは、別の力だ。
誰かと一緒に演奏する楽しさは大きい。音を合わせ、呼吸を合わせることで、一人では生まれない音楽になる。
一方で、ソロには逃げ場がない。
三線も歌も、間の取り方も、最初から最後まで自分一人で引き受ける。
その緊張感の中でも、普段やっていることを普段どおりに出せるか。
今回の舞台は、自分に足りないものを確認する、とてもいい機会になった。

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