えびすの三線ライフ

三線を弾き、唄い、学び、暮らす。還暦を迎えてなお新しい景色を求めながら、八重山民謡の稽古と日々の暮らしを重ねています。小さな積み重ねの中にある喜びや気づきを、ゆっくり綴っていきます。

八重山民謡の練習を毎日続けていて、気づいたことがある。

暗譜・暗唱ができるようになってくると、練習が楽しくなる。工工四を見なくても歌と三線がつながり、曲全体が身体に入ってくる感覚がある。そうなると、もっと弾きたい、もう一回通してみようという気持ちになり、自然と練習時間も長くなる。

ところが、そこに至るまでがなかなかしんどい。

新しい曲はなかなか覚えられない。歌詞も頭に入らない。何度やっても同じところで止まってしまう。そんな時間が続くと、「自分には能力がないのではないか」と落ち込むこともある。

さらに、ようやく暗譜・暗唱できるようになったと思ったら、今度は師匠から修正点をたくさん指摘される。

その修正箇所を何度も繰り返す練習は、正直あまり楽しくない。

できない自分を何度も見せつけられるような気持ちになり、つい他の曲を弾きたくなったり、「今日はいいか」と練習をサボりたくなったりする。

振り返ってみると、私の練習継続の弱点は、まさにここにある。

でも最近、この気持ちは決して特別なものではないのではないかと思うようになった。

暗譜・暗唱が楽しいのは、自分の成長を実感できるからだ。

一方、修正練習は「できていないこと」と向き合う時間になる。人は「できた」という喜びより、「まだできない」という感覚のほうに心を奪われやすい。だから修正練習が苦しく感じるのは、ごく自然なことなのだと思う。

だからこそ、修正練習との付き合い方を変えてみようと思う。

一度に全部直そうとしない。

今日は一つだけ。

五分だけでもいい。

昨日より一回多く成功したら、それで前進と考える。

そうやって小さな成功を積み重ねていけば、修正練習も少しずつ楽しいものに変わっていくかもしれない。

石垣島で師匠からいただいた課題はたくさんある。

でも、来年の優秀賞コンクールまではまだ時間がある。

焦らず、一つずつ。

毎日コツコツ潰していけば、振り返った時には大きな力になっているはずだ。

結局、上達する人としない人の違いは、才能ではなく、この「楽しくない練習」とどう付き合うかにあるのかもしれない。

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