サークルでメンバーによくアドバイスすることの一つが、「脱力」の大切さだ。
三線は長時間の練習になることもある。力んだままではすぐに疲れてしまうし、歌も喉に余計な力が入ると、本来の響きが出ない。テンポの速い曲では、力んだ腕や指では細かな動きについていけない。
だから私は、「もっと力を抜いて」とよくアドバイスする。
先日、ゴルフでシングルの腕前を持つ人と話していたら、やはり同じことを言っていた。
「結局は脱力やねん」
競技は違っても、上達した人がたどり着くところは同じなのだと感じた。
ただ、その一方で思う。
「力を抜いて」と言うのは簡単だ。でも、それができたら誰も苦労しない。
頭では理解できる。
肩の力を抜く。
握る力を弱くする。
自然に歌う。
どれも間違ってはいない。でも、その言葉だけで急に脱力できる人はいないだろう。
どの分野でも、一定の技術に達した人は、難しいことを驚くほど楽にこなしているように見える。
三線もそうだし、ゴルフもそう。スポーツでも、書道でも、料理でも、熟練した人ほど無駄な力が入っていない。
それは「何もしていない」のではない。
本当に力が必要なところだけに集中し、それ以外は自然に抜けているのである。
初心者は全部を頑張ろうとする。
右手も左手も、歌も、リズムも、姿勢も、すべてに力が入る。
でも上達とは、力を付けることだけではない。
どこに力を使い、どこでは使わないのか。
それを身体が覚えていくことなのだと思う。
その感覚は、人から教わるだけでは身につかない。
何度も弾いて、歌って、失敗して、「今は楽に弾けた」「今の声は自然だった」という小さな成功を積み重ねながら、自分で見つけていくものなのだろう。
だから練習時間は必要なのだと思う。
ただ回数をこなすためではない。
「どうすればもっと楽に弾けるだろう。」
「今、どこに力が入っているのだろう。」
そんなことを考えながら試行錯誤する時間こそが、脱力への近道なのではないかと思う。
そう考えると、自分はいつ脱力できるようになったのだろう。
正直、覚えていない。
「今日は力が抜けた」という劇的な瞬間があったわけでもない。
気がつけば、昔ほど肩に力が入らなくなり、長く弾いても疲れなくなっていた。歌も以前より自然に出るようになっていた。
だからこそ、今少し悩んでいる。
サークルでは「もっと力を抜いて」と伝えることが多い。でも、その先をうまく言葉にできない。
自分は苦労した記憶がない。いつの間にか身についていたから、「こうすればできますよ」と説明できないのである。
教える立場になって初めて、自分が感覚でやっていたことの難しさに気づいた。
これからは、自分自身も改めて「脱力とは何か」を考えてみたい。
仲間を見て、いろいろな伝え方を試して、「こうすると伝わりやすい」というものを探していきたい。
演奏が上手くなることももちろん大事だ。でも、人に伝わる言葉を見つけることも、それと同じくらい面白くて、やりがいのある稽古なのかもしれない。

コメントを残す