三線を続けている一番の理由は、とてもシンプルだ。
楽しいから。
そして、昨日の自分より少しだけ成長したと感じられるからだ。
その喜びだけでも、毎日稽古を続ける理由としては十分である。
しかし、その一方で、ときどきこんなことを考える。
伝統芸能の伝承という視点で見れば、60歳手前でこの世界に入った私に、果たしてどれほどの役割があるのだろうか、と。
八重山古典民謡の世界には、幼い頃から三線に親しみ、何十年も稽古を積み重ねてきた先輩方がいる。その方々が築いてきた技術や知識、文化の厚みを思えば、自分はまだ入口に立ったばかりだ。
今から私一人が、この伝統芸能に大きな影響を与えることは、おそらくできないだろう。
そう考えると、少し無力感を覚えることもある。
それでも、続けることには意味があると思っている。
伝統文化は、一握りの名人だけが守ってきたものではない。
毎日稽古を続ける人。
舞台を支える人。
教室へ通う人。
演奏を聴いて感動する人。
その魅力を誰かに語る人。
そうした一人ひとりの思いが積み重なって、文化は次の世代へ受け継がれていく。
心理学には「生成性(ジェネラティビティ)」という考え方がある。年齢を重ねるにつれ、人は自分自身の成功だけではなく、「次の世代へ何を残せるか」に生きがいを感じるようになるというものだ。
今の私が毎日稽古を続け、その過程をブログに書き続けるのも、各地の三線サークルに関わるのも、その一つなのかもしれない。
もちろん、私の記事を読んで、誰かが三線を始めることはないかもしれない。
誰の背中も押せずに終わる人生かもしれない。
それでもいいと思っている。
伝統文化は、「自分が何人に影響を与えたか」という成果だけで受け継がれてきたのではない。
「この文化が好きだ。」
その思いを抱き、できることを続ける人が一人、また一人と存在してきたからこそ、今日まで受け継がれてきた。
一人の力では細い道しか作れない。
しかし、同じ思いを持つ人が十人、百人、千人と増えていけば、それぞれの細い道が少しずつ重なり合い、やがて誰もが歩ける太い道になる。
その道を作った一人ひとりは、自分の歩いた跡が未来につながることを知らなかったかもしれない。
それでも歩みを止めなかった。
だからこそ、今の私たちがその道を歩くことができている。
私もまだ入口に立ったばかりだ。
だからこそ見える景色がある。
初心者だから感じる驚きや喜び、つまずきや発見は、これから始めようとする人に一番近い言葉で伝えられる。
今日も三線を手に取る。
一曲、一曲を大切に歌い、一歩一歩前へ進む。
その歩みが誰かにつながるかどうかは分からない。
それでも、自分の歩いた小さな一歩が、未来へ続く道の一部になることを信じて、これからも歩き続けたい。
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