子どもの頃は、それほど歌が好きだった記憶はない。
でも、いつの頃からだろう。
気がつけば、歌うことが好きになっていた。
ただ、残念ながら上手くはなかった。
声に芯がない。
音程もずれる。
高い声は出ない。
それでも好きだから歌っていた。
上手い下手とは別のところに、歌う楽しさがあったのだと思う。
やがて三線を始めた。
三線を抱えて歌う時間は楽しかったが、歌はなかなか上達しない。
長いこと歌っているのに、高音は相変わらず苦手なままだった。
そんな私が、60歳を前にして八重山民謡を始めた。
これがなかなか厳しい。
師匠が設定するキーが高い。
「いやいや、その高さは無理でしょう」
最初は本気でそう思った。
でも、八重山民謡は、その高さに届かなければ歌にならない。
届かないなら、届くようになるしかない。
そう思って練習を続けた。
民謡の練習だけでなく、好きなスピッツの曲にも合わせて歌うようにした。
すると、不思議なことに少しずつ感覚が変わってきた。
「あれ?」
以前なら苦しくて出なかった音に声が届く。
八重山民謡でも、高い音が以前より自然に出るようになってきた。
そして気がつけば、昔は原曲キーでは歌えなかった好きなアーティストの曲まで、そのまま歌えるようになっていた。
人間の身体は、使えば変わる。
60歳が近づいてからでも、ちゃんと成長する。
若い民謡歌手が、民謡だけでなくポップスまで軽々と歌いこなしている姿を見ることがある。
以前は「歌が上手い人は違うなあ」と思って見ていた。
でも今は少し違う。
なるほど、毎日のように高いキーの民謡を歌い続けていれば、自然とああいう声になっていくのかもしれない。
民謡の稽古は、民謡だけを上手くするものではない。
好きだった歌を、もっと自由に歌えるようにしてくれるものでもある。
歌うことが好き。
その「好きだけ」で続けてきた道が、60歳を前にして、少しずつ形になってきた気がしている。

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