神戸女学院大学名誉教授で思想家の内田樹さんが「修行」についてX(旧Twitter)に投稿した内容が、とても腑に落ちたので備忘録として転載させていただく。
師に就いて、その教えを信じてひたすら修行を続けて、連続的な自己刷新を遂げてゆくという生き方は現代ではごく例外的なものになっています。でも、経験的に言って、「修行」という生き方は一人一人の潜在的な可能性を爆発的に開花させるという点では「競争」にはるかにまさります。
新自由主義的な組織論は査定や評価によって個人の今の手持ちの能力を考量することはできますが、「見えない能力」を爆発的に開花させる道筋を示すことはできません。修行は誰も査定しません。目指す目標は「天下無敵」であり「大悟解脱」であり「梵我一如」であるのですから、相対的評価は不可能です。
修行は「絶対に到達できない目標」をめざして日々愚直な稽古を積み重ねるというだけのことです。いつ、どういうかたちでbreak-throughが起きるかは誰にもわからない。でも、修行していればそれは必ず起こる。修行は裏切らない。これは、ほんとうです。
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