「職人技」という言葉が好きだ。
とても素人にはできないことを、いとも簡単そうにやってしまう。
本人にとっては、特別なことではないのだろう。
いつもの仕事として、淡々とやっている。
けれど、その「さらりと」の後ろには、途方もない時間がある。
毎日毎日、同じことを繰り返す。
うまくいかない日もあり、失敗する日もあり、それでもまた次の日もやる。
それを何年も、何十年も積み重ねてきた。
だからこそ「○○職人」と呼ばれる人たちの仕事を見ると、昔から畏敬の念を抱いてきた。
プロ野球を球場で観たときにも、同じようなことを感じたことがある。
テレビで見ていると、ヒットを打った、ホームランを打った、ファインプレーをしたという結果に目が行く。
でも、球場で実際にプロの選手を見ると、それとは少し違う感覚になる。
投げる。捕る。走る。打つ。
一つひとつの動きが、自分たちとはまったく違う次元にある。
しかも選手たちは、それを特別なことのようには見せない。
最高レベルのプレーを、日々の仕事として淡々とこなしている。
もちろん、そこに至るまでには、子どもの頃から何年も何年も繰り返してきた練習があるのだろう。
その積み重ねの果てにあるものを目の前で見ると、うまいとか、すごいとか、それだけではない感情が湧いてくる。
人が簡単にはたどり着けない領域を見ている。
だからこそ、憧れる。
三線でも同じことを感じる。
民謡酒場で、毎日のようにステージに立っている唄者。
唄って、弾いて、お客さんを楽しませる。
その日の客、その場の空気に合わせながら、当たり前のようにステージをこなしていく。
難しいことを、難しそうに見せない。
何百回、何千回と唄い、弾いてきたのだろう。
その人にとっては「今日もいつものステージ」なのかもしれない。
でも、そこには毎日毎日、何年も積み重ねてきた時間がある。
そこにも「職人技」を感じる。
自分も毎日三線を弾いている。
少しずつ積み重ねているつもりではある。
それでも、あの領域は遠い。
もしかすると、一生たどり着けないのかもしれない。
でも、だからこそ憧れるのだと思う。
少し練習したくらいでは届かない。
何かコツをつかんだからといって、突然手に入るものでもない。
毎日毎日、それをやる。
何年も、何十年もやり続ける。
そうして積み重ねた時間そのものが、いつしか技になっていく。
自分にそこまでのものがあるのかは、まだわからない。
ただ、たどり着けないかもしれない領域がある。
そして、その領域にいる人たちの姿を知っている。
だから今日も三線を手に取る。
そこへ行けるかどうかではなく、少しでも近づくために。
今日の一回を、また積み重ねていこうと思う。
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