えびすの三線ライフ

三線を弾き、唄い、学び、暮らす。還暦を迎えてなお新しい景色を求めながら、八重山民謡の稽古と日々の暮らしを重ねています。小さな積み重ねの中にある喜びや気づきを、ゆっくり綴っていきます。

「職人技」という言葉が好きだ。

とても素人にはできないことを、いとも簡単そうにやってしまう。

本人にとっては、特別なことではないのだろう。
いつもの仕事として、淡々とやっている。

けれど、その「さらりと」の後ろには、途方もない時間がある。

毎日毎日、同じことを繰り返す。
うまくいかない日もあり、失敗する日もあり、それでもまた次の日もやる。

それを何年も、何十年も積み重ねてきた。

だからこそ「○○職人」と呼ばれる人たちの仕事を見ると、昔から畏敬の念を抱いてきた。

プロ野球を球場で観たときにも、同じようなことを感じたことがある。

テレビで見ていると、ヒットを打った、ホームランを打った、ファインプレーをしたという結果に目が行く。

でも、球場で実際にプロの選手を見ると、それとは少し違う感覚になる。

投げる。捕る。走る。打つ。

一つひとつの動きが、自分たちとはまったく違う次元にある。

しかも選手たちは、それを特別なことのようには見せない。
最高レベルのプレーを、日々の仕事として淡々とこなしている。

もちろん、そこに至るまでには、子どもの頃から何年も何年も繰り返してきた練習があるのだろう。

その積み重ねの果てにあるものを目の前で見ると、うまいとか、すごいとか、それだけではない感情が湧いてくる。

人が簡単にはたどり着けない領域を見ている。

だからこそ、憧れる。

三線でも同じことを感じる。

民謡酒場で、毎日のようにステージに立っている唄者。

唄って、弾いて、お客さんを楽しませる。
その日の客、その場の空気に合わせながら、当たり前のようにステージをこなしていく。

難しいことを、難しそうに見せない。

何百回、何千回と唄い、弾いてきたのだろう。

その人にとっては「今日もいつものステージ」なのかもしれない。
でも、そこには毎日毎日、何年も積み重ねてきた時間がある。

そこにも「職人技」を感じる。

自分も毎日三線を弾いている。
少しずつ積み重ねているつもりではある。

それでも、あの領域は遠い。

もしかすると、一生たどり着けないのかもしれない。

でも、だからこそ憧れるのだと思う。

少し練習したくらいでは届かない。
何かコツをつかんだからといって、突然手に入るものでもない。

毎日毎日、それをやる。
何年も、何十年もやり続ける。

そうして積み重ねた時間そのものが、いつしか技になっていく。

自分にそこまでのものがあるのかは、まだわからない。

ただ、たどり着けないかもしれない領域がある。

そして、その領域にいる人たちの姿を知っている。

だから今日も三線を手に取る。

そこへ行けるかどうかではなく、少しでも近づくために。

今日の一回を、また積み重ねていこうと思う。

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